しつけイコール体罰のイメージって、持っていませんか?
長男が大学生、長女が高校生のやや親父うざいと思われてる感あり・・・こんな親父ですが。
現在ほぼ子育てから手が離れている状態。
子育ては、ほぼ奥さんでやっていただいており、あまり偉そうな事は言えないですし、私は子供のしつけ専門家でもありませんが、しかしその間およそ20年程度、進学やしつけで、そこそこの反抗期を経験してきましたので、体験談(主に失敗談になるかな?)を伝えたいと思います。
最近悲しい事件が多い
青森県では41歳の母親が、娘のウソを付いた事で腹を立て、中学生の娘の頭を踏みつける。
北九州市では、46歳の父親が6年間もの間、しつけと称して動物用スタンガンを3人の実の子供達の体や腕に押し当て、火傷等の暴行を行った。
初公判が福岡地裁小倉支部で行われ、検察側は懲役2年を求めているとの事。
理由は父親が決めたルールを守らなかったから。
なぜ、やり過ぎ体罰を親やってしまうか?
暴行を行った年代の親が私と同じ40代なのが、気になりました。
今回ニュースや事件になった親とは、もちろん私との面識はありませんが、近い年代だなっと思い、気になりました。
他の記事でも書いたかと思いますが、私の年代の小学生、中学生時代での体罰は日常茶飯時でした。
宿題を忘れたらビンタ10発やられ、髪の毛にジェル等の整髪剤を付け登校したら、教師に首根っこ捕まれて、そのまま手洗い場に水が出てる蛇口の下に頭を突っ込まれ整髪剤を払い流されたり、
今だと結構な問題になりそうな体罰が、見たり聞いたりしていました。
現在の親は、過去にこういった体験を受けたり、見たりで情報をインプットしたかと思います。
今回、我が子に度を越した体罰をした親も、少なからず学生時分に体罰や家庭内外での暴力を見たり体験してしまったのかも知れません。
スタンガンを使用した父親は、行動は間違いなく異常ですが、私の子供ころに、言う事を聞かない子供に灸を据えてたのを見ていましたので、ひょっとするとスタンガンの父親はお灸の延長線上にスタンガンは使えると、おかしな認識をしたのかも知れません。
親子間のしつけとはいえ、限度を越してまでの体罰行為は暴行にしかなりませんので、厳正な判決を出してもりたいです。そして、可能であれば信頼しあえる親子に戻ってもらいたいです。
しつけの本来の意味
私の時代の親は、どうも、しつけ=体罰のイメージが付いてしまっているのではないかと、私はそう考えています。
しつけとは、人間社会・集団の模範、規律や礼儀作法などの慣習に合った立ち振る舞いやマナー出来るように訓練する事としています。
現状では子供は義務教育の過程を過ぎれば、社会に出て自身で生活をしていくのです。
その社会で生活をする上でルールが存在しています。
ルールは国や地域で多少の違いはありますが、大体は同じです。
そのルールを元に社会生活が成り立っていると私は考えています。
簡単な事では、挨拶やお礼の仕方、テーブルや食事のマナー作法、約束の時間に遅刻しない、お店に欲しいものがあれば、お金を払って購入する、自動車が往来する場所を渡る場合には信号機を見るなど、
子供が大人になり、社会生活をしていくうえで必要な振る舞いを、親から子供へ教えるという事です。
子供が社会に出た時に、ルールを知らないため恥をかいたり、無駄に相手や自身に損害が起きてしまうため、そうならないようルールを憶えてもらうわけです。
これが本来のしつけをする意味と私は考えています。
完璧な親はいない
子供ですから親の教えにすぐ順応する子供いれば、なかなか上手く出来ない子供も当然います。
多分、大人のややこしいルールは大人でも理解し難いところもありますので、子供に教えるのはなかなか骨が折れる時もあります。
体罰が普通にあった時代の40歳代の親は、どうしても理解にしてくれない我が子に最初は理解してもうべく懸命に教えようとします。
我が子が恥をかかないよう、損をしないように。
体罰経験をした親が過去の経験から、痛みによって注意する方が手っ取り早く分からせる手段と認識してしまう、と私は考えています。
実際に私も、手をあげたことがありました。長男が幼稚園の頃に玩具の棒を遊びで振り回していました。「危ないから止めなさい」と注意をするもののやはり楽しいのか、なかなか止めようとしません。
その時、パコンと私に棒が直撃し、私はカッと怒り子供の髪の毛を引っ張り上げてしまいました。
痛がる子供を見て我に返りとっさに離しました。幸い怪我はなかったのですが、泣いている子供を見て、
『これは手をだしたらアカン、体罰を続けると自分自身で加減が効かなくなる』と悟りました。
当然、それを見た奥さんにも怒られましたし、なによりも自分がショックでした。
それ以降は手を出さず、言葉で伝えるようにしました。
私が思う理想のしつけ
体罰を止め言葉で伝える事が、本来理想と言えるのですが、これが結構な根気が必要になります。
我が子のしつけは私の奥さんが上手くやっていたと思います。
しつけに納得出来ず大泣きをしている我が子に対して、母親である奥さんは、泣き止むのをずっと待っていることが多かったのです。
子供が泣く感情を発散し終えた頃、奥さんは躾というより諭すように理解を求めます。
当時の私は分かっていてもそのやり方を見て、もどかしさを感じていました。それくらいせっかちな人間でした。奥さんには頭が上がりません。
現在に合う しつけ とは?
しつけよりコーチ兼アドバイザー役
その奥さんしつけの方法を見て考えたのが、その場その場の感情で怒ったりするしつけではなく、子供の将来のために親が良い方法をアドバイスし、子供がそれを理解し実行できる方法を一緒に考えるのが、現在に合う《しつけ》と思います。
だいたいの人間が大人になれば、社会に出て働いてそれで得た収入で生活をして行かないとなりません。
社会に出て、楽しく有意義に生活するためには、どんな働き方が理想で、その理想に近づくためにはどういう学校に入学し、どんな学習をすれば良いのかを逆算していくのです。
そうすれば、しつけの理由付けが明確になってくるかと私は考えています。
将来の理想の生活スタイルを考えて上げては?
将来の理想の生活を漠然でも良いので決め、それにたどり着く道順を決めて行くのです。
将来の方向性を決めたら、後はおのずと決まってくるでしょう。
例えば、将来プログラマーになりたいのなら、どんな企業に入社するためには、どのような学校卒業すれば良いか分かってきて、その学校に入学するなら、どの小中学校に入学できるくらいの勉強をすれば良いのか、掘り下げてこれると思います。
後は、子供がその方向性から脱線しがちな時に、元の目指している道に戻すように諭せればいいのです。
また、子供がその道が行き詰ってしまったら、他の道は必ずあるので、一緒に探してあげれば良いでしょう。
子供の将来の理想な生活は、できればざっくりと決めていくか、幾つかのパターンを持っておいた方が良いです。
1つだけだと、プレッシャーに潰されかねないかと思います。幾つあれば心の余裕が出てくるからです。
現在の情報収集はとても楽だと思います。分からない事、知りたい事はネットで検索すれば、だいたいの情報を得る事ができます。新しい道を見つけるのは、そんなに難しくはないはずです。
しつけも時代と共に変化
古き良きは、良くてもやっぱり古い
今年の高校野球の県大会決勝において、令和の怪物と称されている投手の怪我を考慮して、監督は試合に器用しなかったニュースがありました。
ニュース番組のスポーツコーナーの野球界の重鎮と言われている年配の解説者が、試合に登板させなかった監督にダメ出しを唱えました。
「壊れても当然、怪我をするのはスポーツ選手の宿命。痛くても投げさせるくらいの監督でないとダメ。」
とコメントされた。これに対し、現在現役のプロスポーツ選手は
「全国から注目されている高校投手の未来を守った監督の行為は勇気ある行動。」
「苦境に立たして、大怪我でもしたらマイナスでしかない。野球で生きていくなら尚更。監督は批判覚悟で選手の将来を守った英断。」
と球児を登板しなかった監督を支持したコメントが目立ちました。
私はこういった場において過去と現在のスポーツの考え方としつけとかリンクしているかと感じました。
根性論のみでは、不安要素が高い。
重鎮といわれている年配の人の考えは、辛くても頑張れ、痛みを乗り越えて勝利を目指せ的な考えが未だ残っている根性論主義です。
そういった思想や考えを持っている人は現代にもあらゆる業界に居ますし、若干私もその考えも理解できる部分はあります。
しかし、現在の現役で活躍しているプロ選手のコメントの方が的を得ています。
根性論で身体を鍛えるより、効率の良い筋肉の鍛え方やケアの方法を考え、どういった練習や負荷の掛け方が身体にメリットがあるのかを調べています。
それを基にスポーツで良い結果を出すには何が有効で、長く選手生活を維持出来るのかを最新の方法で調べ実行してきているわけです。
なぜそう思うか、過去の私の経験から
そう言えるのは、私も学生時代に陸上競技部所属していました。(補欠にも入らないレベルの選手でした))
中学時代は、顧問に気合いだ気持ちだで、指示が出た練習メニューをひたすらこなすだけでした。
高校になってから現役で試合も出ている教師が、陸上部に顧問になっていました。
現役のアスリートでもあるため、練習方法も今までの根性論での練習ではなく、水泳の練習や、ウェイトリフティングの練習を取り入れたり、身体の部分ごとを鍛えるため、陸上ではやらない他の運動部の練習もメニュー加えられ、理にかなった練習方法でした。
この練習方法は、海外のアスリート選手では、普通にメニューに加えらていると教えてくれました。
当時の私にとってはとても新鮮で、練習メニューはキツイものでしたが、練習が楽しいと感じた事は初めてでした。
しかし、残念ながら翌年には他所の高校へ移転されました。
現在、海外で活躍されている彼らのコメントを私は納得できるのです。
それだけ時代が変わってきているのです。
しつけにおいても、過去の体罰はある程度は仕方がないと思われ、多少度が過ぎても暗黙の了解で黙認されていたと思います。
しつけも時代と共に変化している
しかし、時代が変わり、子供に良い悪いを教える方法も明確になってきました。
体罰を使わず、言葉や心理的な方法で良いで導き方が分かってきたり、レクリエーションやイベントに参加する事で、子供の思考や発想力が良い方向へ変わったりするやり方もありますので、そういった方へ子供に進めるのがよいでしょう。
まとめ
体罰で子供をしつけるのは、短絡的。言葉で諭し理解を得よう。
親も完璧ではないのは、普通と思おう。
子供に理解してもらうには、時間をかけよう。
将来どんな仕事し生活を送りたいか、子供の夢を聞き出し、可能性のある方法を一緒に考えてみましょう。
時には立ち止まる事も必要。違う方法がないかも調べてみよう。
しつけは時代と共に変わっていくものと考えよう。
関連記事①はこちら⇒子供を育てることで得た事とは?
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