この記事では、患者当事者ではなく、その身内の感想や対応した体験談を紹介致します。
体験談3選と目次
●まとめ
あなたの大切な身内が癌、脳心筋梗塞など大きな病になった場合どう対応しますか?
いずれそういった場面に立ち会うはずです。
患者さん本人もちろん精神的にも肉体的にも想像を超える苦しみを経験されているはずです。
しかし、身内も見守るしか出来ない状況はもどかしく、精神的にキツイものがあります。
落ち込んでいる患者に対して、気丈に振る舞ったり、無理をして明るく接したりと正直なところ精神的に、かなりツライのが現状です。意外と気をもんでしまって患者に励ましの言葉もなかなか出てこなかったりすることもあるでしょう。
長期の療養入院や高度な医療処置により、思っていないくらいの高額の医療費用が発生することが多いのも特徴です。
そういった場合の対処方法も体験談として明記しています。
とくに患者が今後の生きていくうえでの医療処置を施す際に、その選択を病院から求められることも確実に発生します。
これを読んで頂いて、もしあなたの身内の人が大病を患って、どう接し、どう対応すればいいか分からない場合のヒントとして参考にして頂ければと願っています。
乳癌と診断された奥さんをサポートされた夫の体験談
発症
私の妻が乳ガンに罹患している、そう医者から宣告されたのは2010年3月。その少し前、ふと気づくと女房の右乳房の上側にシコリのような固まりが見つかりました。
なにげない瞬間が後から考えればそこからがガンとの闘いの始まりだったのです。
その前年に地元小山市の実施する乳ガン検診(マンモグラフィー)を女房は受診していてその時は異常なし。
二人とも安心していてまったくの青天の霹靂でした。
ある時女房から右胸にシコリのようなものを感じると話があり私も触れてみると、確かにそのようなものをあるのがわかりました。
「ひょっとして...まさか...ガン?!」
7年前の2003年に左胸にできた線維腺腫という良性のしこりを日帰り手術で摘出したことがある女房は心に大きな不安を感じました。
義姉から以前評判のいい先生だと評判を聞いたことのある宇都宮市内の乳ガン専門のクリニックへ行き、触診やマンモグラフィー、超音波検査などを行いました。
検査をした先生も乳ガンの疑いを捨てきれないと細胞診も行いました。
そして、乳ガンと確定したのです。
女房の病名は乳ガン、その重度はステージⅢの2期。
告知されたその日、女房は死の恐怖で一睡もできなかった。私はかける言葉がなく、ただ横で付き添うことしかできませんでした。
入院
受診した乳ガン専門のクリニックのY先生は下野市にある栃木県内では最大級の大学病院自治医科大学付属病院の乳腺科のドクターとして勤めていた。
自ら紹介状を書き、受診の手続きがしやすいよう取り計らって下さりました。
大学病院では別の乳腺科の先生が担当となり、あらためて問診から始まり、いろいろな検査を行いました。
検査内容はCT、左乳房のマンモトーム検査、MRIなどの検査を経て、右乳房は乳ガン、そして左の乳房にもしこりが見られたがこちらは線維腺腫であることが判明し、両方の乳房がなくなってしまうかも、という不安はなくなり女房と2人、ちょっと安心しました。
女房はガンと立ち向かうために心に少しでも余裕を与えられるよう努めました。
時期は春。
満開の桜の木に耳をよせて命の鼓動を感じたり、仕事で知り合った恩師ともいえる埼玉でお寺の住職をしている女性Jさんに電話でガンの告知されたことを話しをしました。
心の置き方を尋ねてみたり、とそういった前向きな行動は私自身が同じ状況に至ったならとてもできないな、と心から彼女の強さを感じたものです。
大学病院という大きな組織での手術だからある程度の「待ち時間」というのは覚悟していましたが、実際に入院・手術ができるまでがんと確定してから約3ヶ月後の5月の下旬で決まりました。
ガンという病のイメージ=死を想像し、ものすごく長く感じ「本当に大丈夫なのか?」という不安を女房と二人完全に拭うことはできませんでしたがここまで来たら医者を信じるしかないと覚悟を決めました。
入院を間近に控え、麻酔科の先生からの説明や外科病棟がある病棟受診(入院オリエンテーションと病棟見学)がありました。
入院後の流れなどが事前に把握できて、女房も私も安心でき、『これで後は病気を治すのみ!』と私に女房は力強く言葉をかけてくれたのです。
準備
女房が乳ガンだと確定してからまず長年お世話になっている生命保険会社の担当Hさんに連絡を入れました。
Nさんは私が以前勤めていた物流会社に出入していた時、その人柄と提案してくれた保険プランに興味を持ち契約をしました。
以来10年以上のお付き合いがある人で、従業員のドライバーさんたちからも人気のある信頼できる女性でした。
結婚してすぐに女房もNさんの生命保険に加入手続きし、ガンに罹患した際に一時金が支給される保険商材を特約で結んでいたのです。
この特約である一時金プラス入院時の見舞金などが支給されると話をされ、ガンになった場合には少なからずお金が物入りになることを実感させられました。
Hさんから「手続きは迅速になされるようちゃんとやるからがんばって!」と励ましの言葉も頂き、心強い保険パートナーさんでよかったと思いました。
また治療に関するお金を少しでも抑える手段として高額医療費精度の「限度額適用認定証」の発行を勤務している会社の社会保険の窓口である全国健康保険協会(協会けんぽ)に申請。
一定の金額以上は支払うことがなくても大丈夫なように手続きをしました。
こちらも手続きはスムーズにでき限度額適用認定証の発行をしてくれました。
これと保険会社の一時金などでなんかと対応できる、そう思いました。
お金のこと
入院期間は7日間。手術や入院期間の治療、食事などを含め掛かった費用は100,000円。
入院手続きの際、仮払いみたいな感じで30,000円ほど支払い、あとは限度額適用認定証を活用し、上限100,000円までで済むことだったので退院時に残りの70,000円を支払いました。
ガンというものに立ち向かうのが治療に関してもそうですが、お金に関しても本当に大変なんだと実感するのはもう少し後のことでした。
治療プランは「手術によるガンの摘出・化学療法・放射線治療・ホルモン薬投与による治療」の4本の矢。
その4本の矢の中で一番大きな矢である「手術」が終わったところであとは附属的なものだろうとタカをくくっていたところもありました。
手術を終えてガンも取り終えたことが後はもう大丈夫と安易な気持ちに私をさせたのです。
どのくらいの時間をかけて各治療がなされるかなどの診療プランを担当の先生から説明を受けた時聞きましたが、その際にかかるお金などを事前にあまり想定していなかったのです。(アバウトにはお金がかかる、それは認識していましたが)
あとから「こんなにお金がかかるんだ!」という女房にはもちろん誰にも言えない心の内は私に「病を治すにはお金がなくては治すにも治せないんだ」という厳しい現実を突きつけられました。
化学療法からスタートした手術後治療プラン。
点滴による化学療法は抗ガン剤治療といい、点滴は2種類を投与することとなり、1種類を3週間おきに3回、合計6回行いました。通院での治療なので高額医療制度の適用にならなくて、この費用が合計で200,000円程度。
続いて放射線治療が計25回、約1ヶ月継続して通院し200,000円かかりました。
そして現在も行っているホルモン薬治療が3ヶ月に1回の検診でその際に約30,000円。
乳ガンとわかり生命保険会社からの一時金が1,000,000円出ましたが、あれよあれよという間になくなっていきます。
乳ガン発症からもう7年経ちます。
今の段階でホルモン薬治療の検診スパンは3ヶ月に1回と変わりませんが、治療費が10,000円を少し切った程度までにはなりました。
治療費が大きく下がったのはリュープリンという注射での投与をしなくてもよくなって経口薬のみになったからです。
これはお金の意味でも、ガン治療のステップとしても大きく階段を昇った、そう女房とも悦びを分かち合いました。
不安とその対処
ガンの治療をしていく中で当事者でないと理解できないことが二つあります。その一つが心の不安、再発への不安です。
もし、もう一度ガンになったら、完全に取り切ったと思っていたガン細胞が実はまだ残っていて転移していたなら...などその想いは本人にしかわからないことだと思います。
その対処として女房に提案したのは同じ病を経験した人たちが集う場所に行ってみること、参加してみること。
その場所とは「ピンクリボンの会」。
お世話になっている自治医大附属病院乳腺科の乳がん認定看護師であるKさんが幹事を務めている集いで、自治医大で乳ガンに罹患した人たちだけでなくその他の病院で乳ガンを経験した人も含めて集える場所がピンクリボンの会でした。
ピンクリボンの会に初めて参加しようとした日は女房がまだ化学療法を行っていて体調が不安定な時と一致してしまい、まずは現場視察ということもあり私一人で参加をしてみました。
参加にして驚いたのはその人数。
50人程度はいたような記憶があります。中には男性の乳がん患者さんも参加していて「乳ガンは女性だけの病じゃないんだ!」とびっくりしました。
さすがに病が病だけに女性の参加者が圧倒的に多く、私は正直場違いなのかなと不安も強く感じました。幸いにしてご夫婦で参加している方たちが目にとまり、そちらの方たちに寄り添ってその日のテーマを受講し、ディスカッションにも参加しました。
経験者ならではの、そうでなくては話がわからないことなどいろいろな情報を聞くことが、話すことができる空間なんだ、そう強く感じた私は以降女房に私も同席するからぜひ行ってみようとこのピンクリボンの会の参加を薦めました。
そして予想通り彼女の心の不安を一つ一つ取り払っていく事ができているように思います。ここでの情報取得とある意味話をすることによるストレスの発散が大いにできて今もこの会には参加を続けています。
そして、もう一つの悩みは「リンパ浮腫」です。これはガン摘出の際にリンパ節にもガンの浸潤が見つかり、リンパをとったことで起こるいわばがん手術の後遺症みたいなものです。
このリンパ浮腫がやっかいで女房の場合右側のリンパを取っているため、右腕が上がらない、むくみがひどいという状態がずっと続いているのです。社会復帰を試みていくつかのパートの仕事にトライしてみましたが都度右腕の状態が悪化して仕事の継続を断念するしかないこととなりました。
どうしたら社会と繋がっていられるかを模索したなか、今彼女はパソコンを使ってインターネットを通じた仕事をしています。
もちろんキーボードの過度な打ち込みなどをすると腕の浮腫みもひどくなることもありますが何とかこなし、少ないながらお金を稼げる悦びを感じつつ徐々に仕事の量を増やしています。
今からこれから
乳ガン治療がスタートして7年が経ちました。乳ガンの治療は大学病院の担当の先生から11年はやりましょうと提案を受けています。
通常よく言われるのが「5年生存率」。女房が7年経ってその後の治療期間を提案されたわけは彼女が生まれた時から目に疾患があったり、子宮筋腫があることで乳ガンと並行して治療を受けていることが大きな理由と思われました。
まだまだゴールは先のことですが、11年間の治療をやりきったその時は旅行に行ったり、ほんらい好きな肉料理のステーキを思いっきり食べよう!そう心に決めて毎日を一生懸命生きることをいつも思い女房と二人暮らしています。
日々の暮らしの中に小さな幸せを感じること、「はっぴーのかけら」を探しながら...。
体験談ポイント
ガン保険で一時金などは出るが・・・
今回の体験談ではガン保険の一時金がおよそ100万円支給されたようですが、抗ガン剤治療費用20万円、放射線治療費用20万円、ホルモン投薬治療費用3か月度に3万円。
がん進行具合で使用する薬が代わってくるため治療費は一定ではないですが、高額の医療費が発生するようです。
この手の費用に関する情報がない状態で、ガン治療を行っていくと現実問題のため、精神的にシンドイ部分です。
こういった体験談をもとにあなたが掛けている医療保険を見直し、再確認することもおすすめします。
保険の無料相談ショップも町の商店モールにもありますので、保険に関しての知識がなければ、利用することをおすすめします。
私は2~3回利用しましたが、現状の加入している保険が適正かどうか教えて頂きましたし、特に新たな保険の加入を進められることはありませんでした。
判らないところは、ドシドシ質問して利用したほうが良いです。
保険会社でネット保険はコスパが良いが・・・
医療保険の掛け金をとにかく抑えたい人はネット保険の方がメリットはあります。
ネット保険では、コスト面ではやはり敵いません。意外と対応がいいのが、対面式の保険外交員です。
コスト面ではネット保険には負けてし、たま新保険の勧誘が面倒臭さはありますが、保険の請求もはやく対応してくれますし、保険に関しての相談役にもってこいです。
私個人の体験での話にはなりますが、ネット保険はコスト的な安さがある分、保険適用範囲外の相談は、非情にドライに断られてしまい、相談にはあまり乗ってくれませんでした。
従来に保険会社にしろ、ネット保険にしても、一長一短はありますので、自身や家族に合った保険会社を選びましょう。
脳梗塞になった父親をサポートされた女性の体験談
発症は突然に・・・
私の父が突然、車を運転中に脳梗塞を発症した時の話です。
病気は突然父を襲いました。
父は、母と私を乗せて県道を走っていたのですが、少しずつ会話中に呂律が回らなくなりました。
なんだか様子がおかしいなと思った私は父が運転する後部座席に座っていたので、ミラー越しに父をみると目はうつろで明らかに表情がおかしいことに気づきました。
私や母の問いかけには応じるものの、よだれが出ていたりといつもの父と明らかに違っていました。
幸いなことにすぐそばにコンビニの看板が見えたため、コンビニに行くように促しました。
車を停めて、父に「頭は痛くないのか」と聞いたところ、「痛くはないけど・・・」と言う言葉も聞き取りづらいほど、呂律は回らず体調を確認している途中に意識を失い、ハンドルの方に倒れました。
何度、話しかけても意識は回復せず、救急車をすぐに呼び、そのまま入院となりました。
入院をしたのですが、手術などの外科的な治療はなく点滴や内服薬での治療が開始されました。
しかし、顔をハンドルにぶつけており、顔が腫れていました。倒れた日は意識がもどらず、翌日意識は戻ったのですが、左半身麻痺という状況でした。
脳梗塞の後遺症
意識は戻ったのですが、夜間、病室の窓に反射している椅子やロッカーを見て、椅子やロッカーが自分の左右に置いてあると思い、「ロッカーが2つもある」などと話していました。そういった意味で認知機能に障害があるのか?とその時は感じました。
それから数日して会話ができるまでに回復はしていたのですが、父は体が動かないということに気づいておらず左半身麻痺という後遺症が残ったことを理解できたのは、倒れた日から1週間が経過した時でした。
認知機能も病気発症後によくみられる症状ということで、その後認知機能の低下はみられず、身体的な後遺症のみでした。
また右脳で梗塞が起きていたことから言語機能の障害はありませんでした。
この最初の入院期間は4か月弱でした。入院して3週間ほどでリハビリが始まり、入院期間中はほぼリハビリを行っていながら、退院の日を迎えました。
そして自宅に帰ってきたのですが、父は主治医も首をかしげるほど、頻回に小さな梗塞を繰り返し、次第に体も動かなくなり、言葉も呂律が回らない状態となり、主治医からは学会で発表をしたいほど、すでに壊死しているはずの脳で梗塞が起きているようだと言われました。
療養病棟へ入院
現在も父は療養病棟に入院をしています。
毎月かかる入院費用は約88,000円です。
この金額には紙パンツ代なども含まれています。
父は個室ではないため、これが個室などを選べば、もっと金額は高くなります。
後ほど、父の状況は詳しく説明をしたいと思いますが、病院で食事を3食とっていないため、この金額には1日3食の食事代は含まれていません。
それでも、この金額は正直、母が支払うにしてもとても大きな金額となります。
医療費と助成制度
父は、障害者福祉手帳を取得しており、身体障害者手帳1級です。
そのため、金沢市役所の健康政策課が管轄する「障害者医療費助成制度」を申請しました。
この障害者医療費助成制度の要件はいくつもあるのですが、父は「身体障害者手帳1級」を取得しているため、要件を満たしていました。
ひと月約44,400円の補助を受けています。もちろん差額分は負担をしています。
この制度などは、私も母も知らなかったのですが、通院先の社会福祉士の方が使える制度などを丁寧に紹介してくださり、制度申請手続きなども行ってくれました。
私たちは、用意してくださった用紙に必要事項を記入し、市役所に申請にいくだけでよかったので、本当に助かりました。
しかし、この制度は毎月入院費用の約88,000円を病院に一旦全額支払い、後日、保健センターや市役所に領収書を持って行き手続きを行うことにより、後から44,400円が戻ってくるといった制度になります。
毎月申請しなくても、ある程度まとめて申請することもできるのですが、忘れてしまったり、領収書をなくしてしまうこともあるので、毎月申請にいっています。
この障害者医療費助成制度以外にも障害年金の申請も行いました。
父は職業柄、厚生年金に加入していた期間が短かったこともあり、障害年金1級の認定なのですが、2か月で約20万円、1カ月にすると約10万円といった金額でした。
サラリーマンなど会社で勤めている方は、厚生年金に加入しているので、加入期間などによって、金額は大きく変わってきます。
また、障害年金は2か月に1度振り込まれるため、考えて使う必要がありますが入院費用の負担分に充てています。
社会福祉士との相談
この障害年金の申請についても、病院の社会福祉士の方が提案してくださり、手続きなどを行ってくれました。
障害年金の制度のことは知っていても、実際に身内が病気になっても、その制度があてはまるのかどうなのかの判断はつかず、申請の方法も調べなければ分からなかったため、社会福祉士の方には大変お世話になりました。
父の病気をきっかけに、障害者に対する制度があることを知ったのですが、それ以外にも、もし自宅で生活を続けることが可能であれば、住宅改修のための助成金があることも教えて頂きました。
お風呂を改修するつもりでしたが、入院生活になることになったため、この制度は利用しませんでした。
その他の経済的な支援として母は働いているため、父がこの障害者医療費助成制度を利用していますが、年末調整などで、医療費控除の対象にもなりました。
経済的な支援はいくつもあり活用することがとても大切だと感じています。
適切な療養場所とは?
自宅での生活が可能であれば、介護保険を利用して地域のデイサービスなどに通こともできるとのことでしたが、気管切開や胃ろうをした場合は自宅での生活は難しいのが現状です。
現在、父は先にも少し述べましたが、療養病棟に入院しています。
退院を前提としている病棟ではないため、退院を考えてはいません。
なぜならば、脳梗塞は体の麻痺にとどまらず年月の経過や年齢を重ねるうちに身体機能の低下が顕著に起こります。
医療処置
父の場合は小さな梗塞を頻回に繰り返しており、MRIやCTなどの画像検査で脳はすでに壊死している状態なのです。
しかし、その画像に写らないほど小さな血管で梗塞を起こしており、嚥下機能の低下が激しくなり、誤嚥性肺炎の恐れがあることや痰を自分で出すだけの体力もないことから、気管切開を行い、胃ろうを行いました。
気管切開をすると声は出ないため、会話はできません。また胃ろうを行うため、食事をとることもできません。
こうした処置を行うか否かの選択は父と母と相談を行いました。
父は、そこまでして生きたくないと話していました。
この時がとてもつらかったです。
父は声を失うこと、食事がとれなくなることにとても抵抗を示していました。母は生きてほしいという思いでいっぱいでした。
意思尊重の優先
誰の意志を尊重するのか、父の意志を尊重しようと決めたのですが、父は「生きる、まだ一緒にいたい」と母に告げ、処置を行うことになりました。
しかし、この選択をしたことを今も後悔はしていません。
今現在も父は病院で生きています。会うことができます。
みなが前向きに生きることについて考え、また病院の看護師、社会福祉士の方にも相談を行い、選択しなければいけなかったつらい時期を乗り越えました。
相談行動は重要
どの制度が適用するのか、要件を満たしているのかなどはなかなか素人では情報を集めることも難しいため、やはり病院の社会福祉士の方が、制度の面では専門家となるようです。
経済的な面、精神的な面でも何か困ったことや不安なことがある場合は、相談するのが一番だと思います。
参考(2018年11月時点)父は、障害年金は1級8号です。ひと月にかかる医療費は、記載通りの88,000円のみでそれ以外にはかかっていません。補助金は、入院費補助の44,400円と、障害年金のみです。
体験談のポイント
長期入院の莫大な医療費の対処は?
ふだん健康状態にある場合、入院治療費や医療費などについて、人は気にかけないのが普通です。
本人や身内の家族が大きな病気を患い、病院にお世話になったとき、高額な費用の医療請求書が病院の方から渡されます。
一般の家庭なら普段から目にすることない金額のため、驚いて慌ててしまいます。
脳梗塞や癌治療などの場合は、長期間の入院や通院で高額費用も長期に支払っていかなくてはならないため、精神的負担が大きいです。
そういった事態を解消するため、社会保険、国民健康保険や障害年金の他、福祉補助制度などあります。こういった制度の有効活用をしましょう。
社会福祉やケアマネジャーに頼ろう
この補助制度の扱っている機関は、都道府県、市政、区役所、福祉サービス課など様々に渡ってあります。
しかし、使いたい制度を申請しに行っても、取り扱いの機関が別の機関だったなんてこともあります。
例えば福祉サービスを申請するには、役所の住民票などの別書類が必要と言われたり、患者当人の委任状がないと制度が適用出来なかったり、かなり手間が掛ります。
たかだか一つの補助制度を申請するだけで、丸一日の時間を費やすことも多く、ただでええさえ精神的負荷がかかっている状況では、気持ちが余計に参ってしまいます。
こういうことにならないため、社会福祉士やケアマネジャーなどに相談しましょう。
ほぼほぼの制度は知識として持っている専門家ですので、遠慮せず分からないことは確実に訪ねてましょう。
医療行為の最終決定責任はだれか?
気管支切開、胃ろう手術から延命処置などの医療処置の最終決定責任は、患者及びその親族の了承によって決定します。
患者当人の今後の療養生活をどのとうに想定し、それに対応し準備をしていくかの決定は患者と親族で決めて行くことがほとんどです。
医者やケアマネジャーなどはアドバイスのみになりますが、彼らの情報をよく収集し、患者のこれからの療養生活と、対応する親族の負荷バランスを考えて進めていきましょう。
あなたの身内がアルツハイマーなったらどうしますか?
夫の親、自分の親、両方を介護した実体験から
今は兄弟が少なくなってきおり、一人っ子同士の結婚が珍しくなくなるほど少子化がすすんできているのではないでしょうか。
そうなると親の介護の問題が大きくなってきます。
自分は、一人っ子ではないのですが、親を見なくてはいけないと思い結婚をあきらめていましたが縁あって遅くに結婚しました。
義母を見ながら、いつのまにかアルツハイマーになっていた実母を介護した経験をまとめてみたいと思います。
「ヘルパーさんがペンを持ってかえっちゃた」
実は、犯人は≪物取られ妄想≫だった。
同じ市内に一人暮らししている実母からよく電話がかかってきていました。
ある日
「ヘルパーさんがペンを持って帰っちゃったんだよ」と電話がきました。
実母は元々、穏やかな性格で、何でも「いいよ、いいよ」とすぐ人に対して甘いぐらいに許してしまう性格だったのですが、その日の電話では、
「ペンぐらいどうでもいいじゃない」「他の所に置いたんじゃないの」
と私が言ってもなかなか納得しなく、しつこく同じことを繰り返していました。
あとで考えると物取られ妄想が始まっていたんだと思います。
認知症と物忘れの違い
「物取られ妄想」というのは、認知症の症状の中の被害妄想の一つで、記憶力が低下したことによりどこに置いたかを思い出せなく、誰かに取られたと思い込むことです。
認知症でなくても、物忘れは起きますが、認知症でなければ自分の行動をさかのぼって思い出すことはできます。
認知症の場合は自分が物忘れしているという自覚がないので他の誰かが盗んだということになるのです。
食中毒事件
あさっては、子供の運動会お弁当どうしよう
実母の足が悪く介護保険の申請をしてあり、要支援2の家事支援のヘルパーのサービスとディサービスを受けていました。
買い物は、ヘルパーさんに頼んでいましたが食事は自分で作っていました。
いつ作ったものか忘れてしまい年寄なのでもったいないと思い、食してまったようでした。
実母に腹痛があり、訪問診療を受けている病院に電話をし、ケアマネが訪問した時に嘔吐したようです。
訪問看護師さんから電話があり何事かと思い駆けつけました。
幸いそれほどひどくなく、訪問看護の方が実母に毎日点滴をしに来てくださり、家で過ごしました。
私も実家にいる必要があり、子供の運動会があったのでお弁当を作らなくてはならなかったあのですが他の人に頼みました。
いつも訪問診療を受けていた医師に受診して、嚥下性肺炎になってないかの確認のためレントゲンを撮影して、また理解力の低下を疑われ認知症の検査を行いました。
なぜか、診察代は検診扱いになっていて、2万1千円もしました。
実母は、身体障害者の手帳を持っているので、医療費は一か月をまとめ所定の手続きを市役所の社会福祉課に申請します。
これで通常は医療保険部分の還付を受けていましたが、検診となると保険での会計ではないので実費になってしまいました。
受診時「もう一人で暮らすのは無理だね」と医師に言われ本人も一緒に聞いていました。
家に帰って施設入所の話をすると本人は、「大丈夫、いままで一人で暮らしてできていたんだからと何かと一人だと大変だし、何回も転んだりしているし何かあっても心配だからと言っても認知力の低下もあるため理解力が低下していて、納得してくれませんでした。
ケアマネの方にもう施設に入る方向にしたほうがいいんじゃないかと相談したところ、「在宅でもう少しがんばってみましょうよ、どうにか私が娘さんには負担がいかないようにします」といわれました。
言葉で説明しても家庭の事情や嫁の立場娘の立場は、判ってもらえません。
介護保険が始まって10年以上経っていますが、誰かが犠牲になることはまだ解消できていないように思います。
新聞の勧誘の詐欺?
思わず消費者生活センターに相談
私たちの住んでいる所は、新聞を勧誘する業者が良く来る地域で、A新聞3か月B新聞6か月など新聞会社を変えてとっていました。
洗剤とかいろいろな景品をもってきて、契約して欲しいと言ってきます。
そんなある日に、
「新聞の契約をしたんだけど、80歳で5年契約して途中で何かあったらどうなるのかね。」と実母から電話が突然きました。
何だか本人の言い分もよくわからないし、実家に駆けつけ書類を見たらやっぱり5年契約になっていました。
継続してずっと同じ新聞社に契約しているかたもいますが、継続でなく5年契約だと誰もいなくても新聞が配達されてしまうと思い、消費者生活センターに相談しました。
消費者生活センターの方は、親身になって相談に乗って下さり、契約書をファクスで送ると不十分なところを修正した書類を送ってきました。
その販売店の苦情は県消費者センターによくきていてブラックリストにも乗っていたようです。
警察にも相談を併行していたのですが、民事不介入ということもあり、販売店にはあんまり強行に新聞の契約をとらないよう注意しておくとのことでした。
消費者生活センターの方が、販売店の本社に連絡してくださったのですが、なかなか相手は契約を解除してくれませんでした。
たまたま、その販売店の知り合いの人がいたので、なんとか頼んだらやっと契約解除をしてくれました。
子供の学校のことがあったり、義母が施設に入所していて洗濯物をとりに行ったり、体調が悪くなって病院についていったりと中々、実家のことまで手がまわらずにいました。
忙しい合い間をみて、やっと実家に久々にいってみると、通信販売で買った物がすごく増えていました。
自分で食べられる量ではなく、私が来たときにもっていくようにとの親心なんでしょうが、テレビで宣伝しているとつい電話して頼んでいるようでした。
*施設に入る準備とその経過
早めに動いたほうが早く入所できる!!
色々な人に相談したからスムーズな入所
施設入所は、要介護1以上でなくては入れなくて、実母本人の介護度は要支援2なので今の介護度では入所できません。
しかし、認知機能の低下は明らかなので、市役所の高齢者福祉課に相談に行きました。
「有効期間内で次の更新申請までは、期間があるので区分変更申請をして下さい」と言われ、区分変更申請をだしました。
そして、介護度の認定を変更する必要があるかどうかの手続きがはじまり、1か月程で結果がでて介護2になりました。
担当のケアマネの方が急病になってしまい相談が出来ず、やむを得ず自分で動こうと思いました。
義母が入所している施設の方に相談したら快く相談に乗っていただいたのでちょっと安心しました。
しかし、それを訪問してくれている方にいったら
「ケアマネを通してください 」とすごく怒られてしまいました。
そうこうしているうちに、先ほど書いた新聞の契約のトラブルが起こり、義母が入所している施設の相談員に再び相談してしました。
自宅に何人かで実母に家に訪問してくださり、緊急的に保護が必要ということで入所が決まりました。
入所してからもアルツハイマーは大変
施設が精神科の病院が経営する施設なのでCTを撮影して、脳に委縮がありアルツハイマーと診断されました。
入所してやれやれと思っていいたのですが、慣れない環境からか以前ディサービスに通っていた関連の施設に入りたいと言って荷物を自分でまとめてしまったため、施設から電話がきたこともありました。
また、隣のベットの方が自分の物を盗むといってティシュやコップまで箪笥の中に入れてしまったり物取られ妄想がひどくなってしまったりと困ってしまうことが多くありました。
時々私の名前を他の親戚と間違えて呼ぶこともありました。
父は他界しており、入所当時はお墓参りに行かなくてはいけないので、お墓参りに行かせてほしいと言い兄弟が連れて行ったりしたことがありました。
徐々に父のことは記憶から消えてきているのか父の話題はなくなりお墓まいりにいきたいといわなくなりました。
「家はどうなっている?」と聞くことがあるのですが、実母は他県の生まれで実家のことをいっているようで、地名にのぼるのは実家の地名ばかりです。
記憶はさかのぼってしまい実家の県に住んでいると思っているようです。
入所の費用は、介護保険の負担限度額認定を受けて軽減されている。
実母の収入は、遺族年金と障害者年金で両方とも課税されないため非課税所帯になっています。
施設の入所費は、収入に合わせて決まり、例えば本人の収入が本人の年金で多分80万以上なら入所費の満額4人部屋なら13、4万ぐらいだと思います。
実母は非課税なので洗濯を施設の業者の方に頼んでいます。
月の洗濯代は、約6千円~7千円で施設の利用代を一か月に支払うのは8万~から9万程です。
介護の負担限度額認定の申請は、はじめ自分及び家族等が市役所の高齢者福祉課に行き
申請書をもらい記入すると手続きができます。
一回手続きをして認められるとその後は、一年更新で市役所から更新の手紙が届き申請書類が入っているので、手続きするようにとの連絡がきます。
但し今は1000万以上の預貯金があると対象にならないので、最近3か月の残高がわかるように金融機関が判るページと残高の判るページをコピーして書類に添付するようになっています。
現金で持っている場合も申告することになっています。
書類がそろったら高齢者福祉課に持っていき必要書類を確認してもらい受け付けてもらうようになっています。
医療費については、医療保険の対象になるので他の医療機関にかかったら、医療費を別に支払うことになります。
障害者手帳をもっていれば、医療費の還付は受けられます。
今は、一か月ごとに申請するのでは、なく初めに社会福祉課で申請してあれば、受給券という形で介護保険の負担限度認定の書類とリンクしているのか一年ごとの期限が切れるときに毎年届いて医療機関にもっていけば、障害者手帳を持っている証明になり、自己負担金が減額されています。
まとめ
実母は、記憶力のとってもいい人でした。
歴史が好きですごく詳しく、親戚に村一番成績が良かったと言われていました。
循環器の病気をもっていたのでそちらを注意していて、又足が悪く歩行に支障をきたしているので、日常生活に不自由さを気にかけていました。
まさかアルツハイマーになるとは考えていませんでした。
高齢になると、思ってもいなかったことが起きるものです。
頼りになるのは行政ですが、うまく行政のサービスを使えるようになるのは情報の収集力で、自分だけでは中々気づくことが少ないです。
どんどん行政に足を運んだり、サービスを受けているケアマネ等に相談していくことが本当に大事です。
体験談のポイント
認知症の老人が商品購入契約は可能か?
今回の体験談では、認知症の実母が高齢で長期の新聞購入契約をさせられた件です。
契約の仕方にもよりますが、基本的に契約書を受けた8日間以内であれば、クーリングオフ制度が使えるため、解約できます。
今回のように明らかに強引に実母が契約を推し進められた場合、消費者センターに届け対応してもらうよい要請しましょう。
成年後見人制度の活用。
認知症などで判断能力が衰えてしまった人の不動産・財産などの管理や強引な悪徳商法などに引っかからないように、後見人を立てて、保護する制度です。
現在認知はしっかりしているが、将来に認知症を発症するかも知れないと判断された人の場合、任意後見制度があり、自ら選んだ代理人に自身の生活、療養看護、資産管理の代理権を与える契約について公正証書を作成する方法です。
これをすると、認知症になって自身で判断出来ない状態でも、家庭裁判所が選任する任意後見監督人にて本人の資産管理や本人の意思に従った保護・支援が出来る制度です。
申請する場合、審査や必要書類の準備で日数がかかります。家庭裁判所にて扱っている制度ですが、任意の場合は公証役場にて先に公正証書を作る必要がありますので、公証役場にて確認してみましょう。解らなければ家庭裁判所にて情報を提供してもらいましょう。
役所の担当者の残念な部分
私も以前、後見人制度へ申請するにあたり、家庭裁判所を出向き、情報を貰ったことがあります。
任意後見制度の場合、公証役場にて任意後見契約を結んで、認知能力が衰えてきて、その状況の時に家庭裁判所へ申請する流れになっています。
この情報は後に得たものでしたが、最初に家庭裁判所にて情報収集するとき担当者からは、
「公証役場に業務かも?」「家庭裁判所の業務ではないかも?」
といった頼りのない回答しか言わない担当者もいます。
私としては後見人制度も任意後見人制度も同じジャンルなのだから、情報提供をしてもらえる感覚でした。
しかし、どうも部門や機関が異なると役所の人々は、情報提供が苦手な公務員が多いようです。少なくとも私は、そういう人と出会うことが多かったのです。
すべての公務員、その業務に携わる人が、そうとは限りませんので、納得が行かない情報提供なら、違う担当者に代わってもらうよう言いましょう。
メモを取るより、録音の方がベスト
これは個人的なおススメですが、補助制度の申請に行き、必要書類や手順を教えてもらい、それを忘れないため、通常はメモを取ります。
メモに書くのも良い方法ですが、私がおススメするのは、打ち合わした内容をスマホ等で録音することです。
話し合いをしている時に、必要事項、次回の面談の際に提出する必要書類などをメモに書いたりすると、意外に打ち合わせ時間が長くなることが多いです。
急いで書くため、後で読み返しても読み難い文字もあったりします。
それなら、録音する方が確実です。打ち合わせが終わった後で、落ち着て綺麗にノートにまとめることも出来ますし、第三者の感覚で打ち合わせを聞けるので、聞き忘れていた用件や、よく解り難かった部分を再確認出できて、次回の時に問い合わせができます。
もちろん、打ち合わせする相手にも
「話しのやり取りを、録音してもOKですか?」
とアナウンスはした方がいいでしょう。
大きな悩みが心を占有されてしまった場合
誰かに心の悩みを聞いてもらいましょう。
大きな病気を持ってしまったため、患者本人しろ、その身内にしろ、精神的にかなり落ち込んでしまうことがほとんどです。
それにより、なにをするにも億劫になってしまい、何も考えたくなくなってしまいがちです。
数日は致し方ないですが、それが一か月以上係ってしまうとせっかくの治療計画も支障が出るかもしれませんし、治療計画に際しての公共機関への補助金申請さえも疎かになってしまえば、後々に面倒が発生します。
1人でモヤモヤと悩んだり、患者本人と家族だけで、話し合う事はあってもいいのですが、
その方法では気持ちの落ち着き方は見つけることは難しいです。
今回の体験談では【ピンクリボンの会】という乳ガンを経験した人々の集まりに参加したり、また、お知り合いもお寺の住職に、心の拠り所を相談するなどされています。
このような専門のカウンセリングや人間の生死について相談できる所に受けることをお薦めします。
患者当人やその家族で、専門カウンセラーに現状の心境を話してしまって、語り切ってしまいましょう。すべての悩みや問題は解決しませんが、心に溜まったモヤモヤを吐き出してしまえば、心は落ち着くはずです。
それから、今後の対応や行動も、冷静に動けやすくなります。
座禅や瞑想もおすすめします
悲しい現実などのネガティブ思考が心を占有されると、それについて、考えてしまいます。
しかし、結果は出てきませんので、ループ状態のまま、悩み続けてしまいます。
答えの出ない事に永遠と考えてしまう訳ですから、いつの間にかボーっとして、しまいます。これもこれで、やる気が削がれる原因です。
そこで、座線や瞑想の出番です。いやなネガティブ思考を排除し、何も考えす、心も無の境地にして、20~30分ほど、頭の中を空っぽにして座禅をしましょう。
答えの出ないネガティブ思考で脳が疲弊しますので、無の境地を脳内に導くことで、脳はリラックスします。
是非とも悩み事でどうしようもない場合は座禅や瞑想をやってみましょう。
まとめ
契約している医療保険の実用性の良さは、専門家に確認しよう。
街中にある保険相談ショップを活用しよう。
ネット保険の長所と短所を見極めよう。
長期医療は高額費用が発生するため、公共の医療保険機関を可能な限り使用しよう。
医療処置の決定権は、患者と親族なので、よく情報収集して判断しよう。
悩み事に心を支配されずに、アウトプットしよう。
解決不可能な悩みは、専門家・心理カウンセラーに相談しよう。
同じ境遇の人達と気持ちを共有することも、かなり有効な手段。